VOGUE寄稿ー社交界のテロリスト、タキのスイスとセレブリティと時計
2009年8月号のVOGUE NIPPONで長年会ってみたいと思っていたタキさんを取材させていただく機会にめぐまれました。
タキ氏についてご存じない方は、ぜひこちらをご覧ください。
VOGUEで型破りのBad Boyを取材
VOGUEでインタビューしたやんちゃなBad Boy
タキ――
かつてインタビュー誌が「金持ちの中のテロリスト」と呼んだ男。
上流階級の税金逃亡者や無責任な金持ちたちを断固と批判するため、こう恐れられていたのだ。
ヨーロッパの王族に友人知人が多く、生前のダイアナ妃とは、亡くなる前日に会話を交わしたほど親しかった。
そのタキ氏、なんとニューヨークで我が家から徒歩5分の距離にお住まいだとは。灯台下暗しとはこのことである。
今回ご縁をいただき、氏が夏と冬の「ホーム」をお持ちのスイスについてとっておきのお話を伺う機会に恵まれた。
タキ氏は、スイスのグシュタードにシャレーを持ち、夏は8月いっぱいテニスを、冬はクリスマス前から3月中旬までスキーを楽しみ、春と秋はニューヨークをベースに社交をする生活を送っておられる。
時折大西洋をヨット「武士道」で横断しヨーロッパにも足を運ぶライフスタイルは50年間変わらない。
テニスではウィンブルドンに、スキーではオリンピックに、そして空手では世界選手権に出場するほどのスポーツマン。
そう絵に描いたようなジェット族のプレイボーイでしかも稀にみる文武両道なのだ。
その彼がなぜスイスに固執するのか。しかも誰もが知るサンモリッツではなく、なぜグシュタードなのか。
観光地として、早くからエスタブリッシュされた規模の大きなサンモリッツと違い、グシュタードはドイツ語圏の小さな美しい村。50年前は2千世帯、今も4千世帯しかない。
公の目を絶えず気にする必要のある金持ちや有名人、王侯貴族にとって、村全体がエクスクルーブな秘密クラブのようで、暗黙のルールができあがったグシュタードは何かと都合がよかったのだろう。
「当時グシュタードでは、みんなパレスホテルに住んでいた。観光客はゼロ。ギリシャの海運王がシャレーを建てる土地開発を始めるとみんなシャレーを買った。でも村には肉屋、チーズ屋、医者はたった一人、銀行も一軒あるだけの本当に小さな村だった。
一軒きりあったレストランではみんな各自の席を持っており、パレスホテルのロビーで会う人は全員が知り合いで、気軽にチェスなどをしていたよ」
「ちなみに、スイスにはオールドマネーの若者が、南フランスには成金の年寄りが集まる」とタキ氏。
初めてグシュタードを訪れたのは1956年8月、19歳の時。スイスで開催されたテニストーナメントに出場するためだった。
若き日のタキ氏は、帝王学を学ぶべくギリシャから米国のボーディングスクールに送られる。しかし、放蕩がたたり3度学校を変わる。加えて、名前を聞けばだれもが知っている女優とニューヨークのプラザホテルで同棲生活も経験する。
そんな息子に見かねた父にヨーロッパに連れ戻されるが、その後も、パリで、JFKも顧客だったと言われる有名な娼館「マダムクロードの館」に通う傍らポロに明け暮れる毎日を送る。
グシュタードに初めて行ったのはその頃だった。
英語で「スイスクロック」という表現があるが、スイスには世界的な時計ブランドが目白押しで、それを裏付けるようにそこに住む人たちも時間に正確で実直だ。
「その安全な土地柄に守られて過去50年間に250回はワイルドパーティをしてきたよ」といたずらな少年のような目でおっしゃるタキ氏。
「かつては、エリザベス・テーラーや、妻(オーストリアのプリンセスの称号を持つ)の従兄、グンター・ザックスと結婚していたブリジッド・バルドーなどの大女優たちも来てパーティを一層面白いものにしてくれたものだよ」。
「スイスにやってくるヨーロッパの王族たちは決まってオーディマ・ピゲかパテック・フィリップの薄くて品のいいゴールドの時計を身につけていた」
当時の最新技術は、いかに薄くて精巧な時計を作れるかを競っていたからだ。今も昔も、時計は特に男にとってステイタス・シンボルである。
父はロンジンを愛用し、若きタキ氏はゴールドのタフな見かけのローレックスやカルティエの時計を愛用していた。
スイスに来ると、ジュネーブで時計屋のウィンドウを見て歩くのが楽しみの一つだったという。
一方、女性たちは決まってダイヤがちりばめられた文字盤の小さなブレスレットタイプの時計をしていた。
タキ氏が時代の風向きが変わり始めたと感じたのは、1974年ごろ。オイルマネーが流れ込み、スイスにもマナーを知らないアラブ人が押し寄せるようになった。
「元凶はグシュタードの近くにあるル・ローゼという世界の王侯貴族や上流階級の子弟が集まるボーディングスクール」。
そこに通う子供と待ち合わせるためにグシュタードにくる親たちの中に、アラブ人の顔が増え始め、暗黙のルールとして守られていたマナーが崩れ始めたとタキ氏は感じたのだ。
「そのことをエスクァイア誌に書いたら、校長がカンカンに怒ってね」と悪びれる様子もなく首をすくめる。
「けれどもっとタチが悪いのがロシア人さ。今やル・ローゼもグシュタードも成金でマナーをわきまえないロシア人が増えた。彼らが良くないのは、ホテルを丸ごと貸し切ってしまうこと。今や、パレスホテルは知らない顔ばかりだよ。しかも酔っぱらうと彼らは相当始末に悪い。」と時代の変遷を嘆く。
「確かに僕たちも若い時はめちゃくちゃな飲み方をしたよ。けれど、例えば赤信号で停まったら車のエンジンを切るという村での最低限のマナーは守ったものさ」
「今のグシュタードは病院や大型スーパーができ、とても便利になった。きっと多くの人にとってはありがたいことだろうが、私にとっては失った輝ける時代の証しでしかないよ」としんみり。
けれど、今でも夏と冬は決まってグシュタードに足が向く。神経を逆なでされるような失望が重なってもそのライフスタイルを変えることはない。
かつて身につけていたローレックスやカルティエの時計は、とっくの昔に、酔っぱらって知人にあげてしまった。
「今は、どんな時計を身につけてらっしゃるのですか」と聞けば、
「これだよ」
と、照れたように腕から外して見せてくれたのは、女性のヌードのシルエットが描かれたスウォッチの時計だった。
往年のスイスの有名ブランドが日本の時計に太刀打ちできなくなり、各社苦肉の合作で創ったスウォッチ。
過去10年ほど流行しているフェイスが大きく、ムーンや複雑な仕掛けがいっぱい詰まった時計は、彼にとってはあまりにヌーボーな匂いがするらしい。
もはやマテリアルで身を固めたり、ステイタス・シンボルを誇示したりする必要がなくなった男のお茶目な遊び心と密かな反乱とでも呼べばいいのか。
その時計を手にしながらふと、してやられたという気もちで、笑いがこみあげてきた。
タキ氏についてご存じない方は、ぜひこちらをご覧ください。
VOGUEで型破りのBad Boyを取材
VOGUEでインタビューしたやんちゃなBad Boy
タキ――
かつてインタビュー誌が「金持ちの中のテロリスト」と呼んだ男。
上流階級の税金逃亡者や無責任な金持ちたちを断固と批判するため、こう恐れられていたのだ。
ヨーロッパの王族に友人知人が多く、生前のダイアナ妃とは、亡くなる前日に会話を交わしたほど親しかった。
そのタキ氏、なんとニューヨークで我が家から徒歩5分の距離にお住まいだとは。灯台下暗しとはこのことである。
今回ご縁をいただき、氏が夏と冬の「ホーム」をお持ちのスイスについてとっておきのお話を伺う機会に恵まれた。
タキ氏は、スイスのグシュタードにシャレーを持ち、夏は8月いっぱいテニスを、冬はクリスマス前から3月中旬までスキーを楽しみ、春と秋はニューヨークをベースに社交をする生活を送っておられる。
時折大西洋をヨット「武士道」で横断しヨーロッパにも足を運ぶライフスタイルは50年間変わらない。
テニスではウィンブルドンに、スキーではオリンピックに、そして空手では世界選手権に出場するほどのスポーツマン。
そう絵に描いたようなジェット族のプレイボーイでしかも稀にみる文武両道なのだ。
その彼がなぜスイスに固執するのか。しかも誰もが知るサンモリッツではなく、なぜグシュタードなのか。
観光地として、早くからエスタブリッシュされた規模の大きなサンモリッツと違い、グシュタードはドイツ語圏の小さな美しい村。50年前は2千世帯、今も4千世帯しかない。
公の目を絶えず気にする必要のある金持ちや有名人、王侯貴族にとって、村全体がエクスクルーブな秘密クラブのようで、暗黙のルールができあがったグシュタードは何かと都合がよかったのだろう。
「当時グシュタードでは、みんなパレスホテルに住んでいた。観光客はゼロ。ギリシャの海運王がシャレーを建てる土地開発を始めるとみんなシャレーを買った。でも村には肉屋、チーズ屋、医者はたった一人、銀行も一軒あるだけの本当に小さな村だった。
一軒きりあったレストランではみんな各自の席を持っており、パレスホテルのロビーで会う人は全員が知り合いで、気軽にチェスなどをしていたよ」
「ちなみに、スイスにはオールドマネーの若者が、南フランスには成金の年寄りが集まる」とタキ氏。
初めてグシュタードを訪れたのは1956年8月、19歳の時。スイスで開催されたテニストーナメントに出場するためだった。
若き日のタキ氏は、帝王学を学ぶべくギリシャから米国のボーディングスクールに送られる。しかし、放蕩がたたり3度学校を変わる。加えて、名前を聞けばだれもが知っている女優とニューヨークのプラザホテルで同棲生活も経験する。
そんな息子に見かねた父にヨーロッパに連れ戻されるが、その後も、パリで、JFKも顧客だったと言われる有名な娼館「マダムクロードの館」に通う傍らポロに明け暮れる毎日を送る。
グシュタードに初めて行ったのはその頃だった。
英語で「スイスクロック」という表現があるが、スイスには世界的な時計ブランドが目白押しで、それを裏付けるようにそこに住む人たちも時間に正確で実直だ。
「その安全な土地柄に守られて過去50年間に250回はワイルドパーティをしてきたよ」といたずらな少年のような目でおっしゃるタキ氏。
「かつては、エリザベス・テーラーや、妻(オーストリアのプリンセスの称号を持つ)の従兄、グンター・ザックスと結婚していたブリジッド・バルドーなどの大女優たちも来てパーティを一層面白いものにしてくれたものだよ」。
「スイスにやってくるヨーロッパの王族たちは決まってオーディマ・ピゲかパテック・フィリップの薄くて品のいいゴールドの時計を身につけていた」
当時の最新技術は、いかに薄くて精巧な時計を作れるかを競っていたからだ。今も昔も、時計は特に男にとってステイタス・シンボルである。
父はロンジンを愛用し、若きタキ氏はゴールドのタフな見かけのローレックスやカルティエの時計を愛用していた。
スイスに来ると、ジュネーブで時計屋のウィンドウを見て歩くのが楽しみの一つだったという。
一方、女性たちは決まってダイヤがちりばめられた文字盤の小さなブレスレットタイプの時計をしていた。
タキ氏が時代の風向きが変わり始めたと感じたのは、1974年ごろ。オイルマネーが流れ込み、スイスにもマナーを知らないアラブ人が押し寄せるようになった。
「元凶はグシュタードの近くにあるル・ローゼという世界の王侯貴族や上流階級の子弟が集まるボーディングスクール」。
そこに通う子供と待ち合わせるためにグシュタードにくる親たちの中に、アラブ人の顔が増え始め、暗黙のルールとして守られていたマナーが崩れ始めたとタキ氏は感じたのだ。
「そのことをエスクァイア誌に書いたら、校長がカンカンに怒ってね」と悪びれる様子もなく首をすくめる。
「けれどもっとタチが悪いのがロシア人さ。今やル・ローゼもグシュタードも成金でマナーをわきまえないロシア人が増えた。彼らが良くないのは、ホテルを丸ごと貸し切ってしまうこと。今や、パレスホテルは知らない顔ばかりだよ。しかも酔っぱらうと彼らは相当始末に悪い。」と時代の変遷を嘆く。
「確かに僕たちも若い時はめちゃくちゃな飲み方をしたよ。けれど、例えば赤信号で停まったら車のエンジンを切るという村での最低限のマナーは守ったものさ」
「今のグシュタードは病院や大型スーパーができ、とても便利になった。きっと多くの人にとってはありがたいことだろうが、私にとっては失った輝ける時代の証しでしかないよ」としんみり。
けれど、今でも夏と冬は決まってグシュタードに足が向く。神経を逆なでされるような失望が重なってもそのライフスタイルを変えることはない。
かつて身につけていたローレックスやカルティエの時計は、とっくの昔に、酔っぱらって知人にあげてしまった。
「今は、どんな時計を身につけてらっしゃるのですか」と聞けば、
「これだよ」
と、照れたように腕から外して見せてくれたのは、女性のヌードのシルエットが描かれたスウォッチの時計だった。
往年のスイスの有名ブランドが日本の時計に太刀打ちできなくなり、各社苦肉の合作で創ったスウォッチ。
過去10年ほど流行しているフェイスが大きく、ムーンや複雑な仕掛けがいっぱい詰まった時計は、彼にとってはあまりにヌーボーな匂いがするらしい。
もはやマテリアルで身を固めたり、ステイタス・シンボルを誇示したりする必要がなくなった男のお茶目な遊び心と密かな反乱とでも呼べばいいのか。
その時計を手にしながらふと、してやられたという気もちで、笑いがこみあげてきた。
by rumicommon
| 2010-01-19 22:29
| VOGUE寄稿記事
|
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気がつけばあと数年で古希。N Y生活も35年。いろいろあるけれど毎日必ず楽しいこと、嬉しいことは見つけられる。
by コモンるみ
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