津田梅子たちが明治初期ハンプトンで夏を過ごした心温まる理由
女の活躍の影には
男の大きな愛がある!
不器用な彼らの愛を引き出すのはわたしたち次第?
男は最後の最後は女の味方
何せ、彼らは「女性(母親)出身」だから。
自分の命に換えても守る覚悟がDNAに刻まれている。
歴史の本をひも解けばそんな感慨にひたる機会はたくさんあります。
みなさんも津田塾女子大を創立した
津田梅子はご存知だと思います。
それでは明治維新に、10代で
アメリカに渡って勉強した
大山捨松と永井繁子3人の
日本女子初の留学生たちのことはご存知でしょうか。
きっと歴史の時間にそんな名前が出てきたな、
そんな知識はおありかと思います。
今日はここで三人が一夏を過ごした
ニューヨークでの心温まるエピソードをご紹介します。
明治維新の時代
女子教育の重要性をかんがみ
梅子などは7才という幼女の身で
10年間のアメリカ留学に出されます。
これが親としてどんなに辛い覚悟が必要なことか。
想像するだけで心臓に痛みが走る方もいらっしゃるかも。
案の定、送り込まれたのは佐幕派で戦争に負けた藩の武士の娘たち
が、彼女たちが帰国してみると
政権はひっくり返っていて
彼女たちは「国の厄介者」になっていたのです。
歴史の本によれば
彼女たちの活躍の場を
当時の封建的な男社会がつぶした
というようなことになっています。
でも、最終的に津田梅子は津田塾女子大を開校します。
その裏側にはいたんです!
何人かの今流にいえばフェミニストたちが。
彼らの大きな「愛」があって実現したのです。
今日は知られざるエピソードのまずはニューヨーク篇をご紹介します。
津田梅子、大山捨松、永井繁子はサウスハンプトンで長期にわたって夏を過ごしたのです。
ハンプトンは当時からアメリカの上流階級が集まる避暑地でした。
19世紀終わり頃のサウスハンプトン

大山捨松と繁子は高校を卒業したばかり18才の夏でした。
1878年、明治11年のことです。
しかも! つきそいもなしで二人で行くと決めたのです。
どう見てもアジアンな二人。
しかもそこは上流階級が集まる避暑地です。
お世話になっていたホストファミリーは大反対です。
長期滞在に必要なお金はどうやって調達したのでしょう。
なんと、捨松はニューヨークの領事館にかけあうのです。
費用を出してくれって。笑
それでなくても日本政府は
毎月3人の女子たちに莫大な費用をつぎ込んでいます。
で、総領事の反応は。。。
夏の間遊びに行きたいからその費用を出してくれだと?
絶対に許さ〜ん!
とはおっしゃらなかったのですね。
「行っていいよ!」
そうおっしゃったのは当時の総領事高木三郎です。
ワシントンに住んでいた津田梅子がホストファミリーといっしょにサウスハンプトンに来ることになっておりそれに便乗することを許したのです。
すごいことです。
しかも!
しかも50ドルのお小遣いまで渡しているのです。
(当時の50ドルは現在の約1000ドル)
今はもう存在しないハンプトンの歴史的な建物を集めた本を
ハンプトンの書店で見つけました。
(その書店ももう存在しません)

極東の片隅のだれも知らない国から7才から14才の年齢で海を渡って来た少女たち5人でした。
が、年長の2人は表向き歴史の教科書ではホームシック
実情は、1人は岩倉使節団の一員として同船した若い男にレイプされ
(こういうことさらっと書くしかないですよね。その件では船上で伊藤博文を裁判官に弾劾裁判が開かれています)
もう1人は視力の低下を理由にその女性に付き添う形ですぐに帰国します。

残った3人の不憫な娘たち。
それが7才の梅子と10才の繁子と11才の捨松でした。
彼女たちの体に流れる
武士の娘として養われた
国を背負う責任感は大変なものでした。
幼い彼女たちのそのがんばりを肌身で感じるだけに
夏ぐらい楽しませてあげたかったんでしょうね。
その彼女たちは年々まぶしいほどの成長を遂げていきます。
だからこそアメリカの上流階級に交じり
一流の西洋のマナーを身につけ
彼らと対等につきあえるようになってほしい
将来の日本を背負って立つ彼女たちにそれは不可欠なこと
そんな思いもあったはずです。
当時日本の上流階級の女子たちは
外出すら簡単には許されない状況でした。
だから結婚すると女性はいつも家の奥にいるという意味で「奥さま」と呼ばれるほど。
それを思うと本当に心の広いご判断、親心です。
3人がハンプトンで夏を過ごしたおよそ30年後のイーストハンプトン



高木三郎は後に捨松がヴァッサー大学を卒業するときは
10人ものお供を連れて卒業式に参列しています。
捨松はヴァッサーではスター的存在でした。
成績も大変に優秀でした。
英語で賞を取ったり
卒業式には代表でスピーチもしています。
「日本におけるイギリスの外交政策」
というような内容でした。
そのスピーチはスタンディングオベーションの大喝采に包まれました。
日本領事館からやってきた男たちも興奮の面持ちだったようです。
自分たちも現地でがんばっている男たちは
彼女が不幸な会津時代も含め
ここまでくるのに
どんな苦労を乗り越えて来たか
知っているだけに
彼女の一番の味方でいたいと思ったのでしょう。
それは深い父の愛に似たものかもしれませんね。
(最近夫の娘に対する深〜い父の愛を知る機会が多く男性に対する見方がどんどん変わっています)
さらにです。
帰国した高木氏は赤坂に建てられた日本初の東京慈善病院の運営に大変に尽力をしています。
これはニューヨークのお隣ニュージャージー州から日本に渡ったホィットニー氏が建てた病院です。
(話しはそれますがこのホィットニー氏は勝海舟一家ととても仲良しで、娘の一人が3歳年下の勝家の息子と結婚しています^^。最後は離婚し、ホィットニーのお嬢さんは子供たちを連れてアメリカに帰るんですけれどね)
その病院には明治皇后が自腹を切ってたくさんのおもちゃを買い入院している子供たちを頻繁に見舞っています。
皇后の「慈善」への取り組みは捨松の影響も大きいはずです。
歴史の表舞台には出てこない高木三郎氏
ハンプトンのエピソードを知った時
東京慈善病院での尽力を知った時
この時代のその瞬間にこの人がいてくれてよかった!
心からそんなことを思いました。
そうそうこの時代のフェミニストと言えば・・・
伊藤博文がいます。
奥さんは元芸妓
家にいつも芸妓を連れてくることでも有名な女好きの伊藤博文がフェミニスト?
はい、そうなんです。
そのお話はまたいつか ![]()
ようこそワクワク明治維新ワールドへ
こちらはこれまで書いて来たあまり知られてないエピソードです。
英語を話す津田梅子はおしゃべりでちょっとわがままなアメリカ娘だった
アメリカのソサエティが熱狂した山川捨松のうちのめされるエピソード

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